ressentiment、足りてる?が男児の母になったブログ

ついでに言うとパニック障害と広場恐怖症3年生だよ!はじまってるだろ?

【39w5d】は?五分間隔?なかったよそんなの!【産んだ】

 

先日、無事に産めました。

元気な男の子で聴覚検査や黄疸もクリア。

毛深い二重の男の子だよ!

 

 

いや、ホントは新生児期を越えないと確証がないんだけどね。いま、見る限りは奥二重ぽい。

 

 

 

出産前日の妊婦健診。

なぜNSTを取ることになったかと言うと普段なかった謎の腹痛と胎動が著しく落ちて何も感じないレベルまで達していたからである。

 

 

 

今思い返せばこれが初期陣痛だったのかもしれない。間隔は15分とかだったし生理痛に毛の生えたレベルだったから見過ごしていた。

 

 

 

そしてこんな記事を書いた後に予期せぬ事が起きた。

 

 

 

おしるし」や「粘液栓」はお産が近い合図。あとは五分間隔の陣痛か破水が出産の始まりであると思っていた。そんな話しかみんなしてなかった。

 

 

 

世の中には例外がある。

時間があまりにも一定にならない陣痛を私は前駆陣痛と決めつけていた。医師もそのように話していたしね。

 

 

 

 

前駆陣痛にしては余りにも間隔が狭く痛過ぎると思い、きちんと記録を取り始めると最大で10分間隔の痛みがちょこちょこ続いていることに気付いた。

 

 

 

そりゃあメンタルもゴリゴリにやられるわけで、おまけに陣痛の強度は右肩上がりなのに間隔は揃わないし縮まらない。

 

 

 

助産師さんも医師も「そんなもんだよ」の一言で終わらせる。出産経験のある友人も「子宮口5cmでも痛すぎて絶叫した」とか言ってるわけ。

 

 

そんなん言われたらこの間隔的ながらも、時間が縮まらない痛みは前駆陣痛と思うほかないじゃない!

 

 

 

痛みは13時頃から定期的にあったが、ついに陣痛を疑ってカウントを取り始めたのは20時。

 

 

 

午前3時頃、痛みに耐え始めて12時間以上が経過したころに我慢出来ずに病院へ駆け込んだ。この前駆陣痛は何かが変だし昼間に開いていた子宮口の3cmは更に広がってるはず!と期待してた。

 

 

 

「ん〜。間隔もバラバラだし4cmくらいだね」と言われてNSTをやって帰宅。この帰宅が私の出産に対するハードルを底上げした。

 

 

 

帰宅してから1時間経過した頃からだろうか。声を出さずにはいられない痛みを伴う、最大でも10分程度の間隔で陣痛が続く。

 

 

「どうせこれも前駆陣痛で子宮口を広げるとか関係のない痛みなんだ。それなのにどうしてこんなに痛いんだろう」

 

 

 

どうしたらいいの?という気持ちも溢れて次第に冷静さを欠いた私は「これから経験するほんとうの陣痛」を心底から恐れるようになった。

 

 

 

もう嫌だ、こんな痛いのにそれより強い痛みがこれから来る。逃げ出したい。と脂汗を浮かべながら痛みが来るたびに絶叫した。

 

 

前日も遅くに寝て、明け方に陣痛で起こされてたからメンタルはグラグラだったのは確か。

 

 

 

痛みの時間は1分未満から2分以上に。尾骶骨や恥骨を破壊せんとする違和感と痛み。痛みの狭間で来るのは恐ろしいほどの睡魔、ふわふわな安らぎと思わせてヤバいやつ。

 

 

痛みで脳が作る麻薬は睡魔の気持ち良さを教える。その睡魔を啜ると陣痛の間隔は縮まらないらしく、それはそれで長期戦の痛みと戦う事になるとかならんとか。

 

次第にこの私が絶叫をかますようになる。どうせ病院に戻っても子宮口もなんも関係ない、これは幻覚痛みたいなもので私は弱虫だと自信まで欠いたころ。

 

 

意を決して病院に行った。玄関先、タクシーのなか、営業中の病院内で陣痛の波が来るたびに声を押し殺した。

 

 

診察台で「うわ!すごいね!8cmだから分娩台にいこう!」と言われた瞬間、私は天に昇った。

 

 

「な〜んだ!陣痛は8cmが一番痛いらしいじゃないの!これが今!今なんだ!耐えるわ!」

と超単純。車椅子を用意してもらったけど陣痛の合間にお産が早く終わるならと徒歩一択でLDR室まで歩いた。

 

 

 

LDR室(陣痛と分娩が同じ部屋)に着いたとき、陣痛の波がきた。安心して膝から崩れ落ちたのは覚えてる。

 

 

 

 

「もうお産‥やめてもいいですか?」

 

 

 

 

つづく